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Vol.18 「表具師」の北村さん Vol.17 指宿紬 ~上原達也さんの仕事~
Vol.16 飯田紬を訪ねて~廣瀬染織工房~ Vol.15 きものを大切に守る仕事 ~シミ抜き・洗張りの職人~
Vol.14 『型染め』その2 Vol.13 ひとを育てる ~電気屋さんと幸之助さん~
Vol.12 受け継がれてゆく能登上布 Vol.11 畳のはなし
Vol.10 木版染めの技師と悉皆屋 Vol.9 土佐手縞 福永世紀子さんの織物
Vol.8 結城紬の糸の源 Vol.7 勝山さんの帯
Vol.6 上原美智子さんの織物 Vol.5 西陣のこと
Vol.4 「型染め」の魅力 Vol.3 現代の染織と魚座のこと
Vol.2 赤の帯 染織家Aさんの帯 Vol.1 築城則子さんの仕事 小倉縞


ひとを育てる ~電気屋さんと幸之助さん~

伊勢神宮に幸之助が生前寄贈した茶室、神宮茶室。玄関、廊下が広く、広間を使った茶会に伺った時は、ゆったりとした空間の印象を受けた。


松下幸之助が日本伝統工芸を支援するきっかけとなった作家のひとりである稲垣稔次郎原画による松竹梅文様の付下。デザインされてから40年以上経過した今日でも美しく、新しい。


毎日唱和していた冊子。ふりがなや講義の内容が記されている。真剣に学んだあとが確かに残っている。

 いわゆる大きな家電量販店は、なかなかかゆいところまで親身になって相談できるところではなさそうで(筆者の偏見かもしれません。)店まわりの電器関係諸々は街の電器屋さん一手にお願いしている。ちょっとしたことでも、すぐに来てくれるので大助かりしている。いつも様子を見て頂けるその専務のこと、立ち居振る舞いがどことなくちょっと違うのだ。座られた時の姿勢や、畳の間を歩く時の姿が、なんとも“さま”になっているのだ。

 「お茶もちゃーんと点てられるで!!」という彼に、どうして?と伺ってみた。「実は、、」といって話してくれたのが、十九の時に松下電器商学院という滋賀県にある全寮制の訓練施設で学んだ1年間のことだった。(現在の新しい名称となっているそうだ。)

 入学したのは親戚の勧だったらしい、そこでは全国から集まった次代を担う若者が、電気関係の技師としての様々な訓練や、経営についての研修、さらに茶道や古典についても学ぶ。休みはあっても実家へ帰ることは禁止されており、朝の体操、マラソンから就寝にいたるまで、厳しい集団生活を強いられる。

 午前中に必ずあるのが、『論語』や『大学』の学習時間である。
体育館の冷たい床に筵を一枚しく、そこに正座をし、講師による講義を受け徹底的に唱和をくりかえす。
 講義が終わり、互いに深々と礼をする。講師の先生が教室を出て行かれたとたん、体育館じゅうにいうめき声が一斉にひびく。
 19歳のサッカー少年はもちろん正座などできない。気の遠くなるような痛みだったが、しかし、20年以上たった今でも、どんなお客様の前でも何時間座っていてもしびれることはないという。

 一日の終わりに郷里に向かって礼!と号令がかかると、まったく自然に涙がほほを伝ってくる。ホームシックというのでもない、家のこと、両親のことを思うと万感胸に迫る思いがある。
 4人のタコ部屋にはまったくプライベートなどというものはなく、電話すらも所定の時間内に一人2分と決められ、毎日、その公衆電話のには長蛇の列ができていたという。(スマホはまだない時代だ。)

こうした不自由な生活を共に過ごした仲間たちとは卒業後も堅固な結束を持ち続けており、困った時は本当に親身になって相談に乗ってくれる。進んだ道はそれぞれだが、人生の中でも得難い人たちをいまも大切にしている。

 松下幸之助が茶道や伝統工芸の存続に尽力されたことは良く知られている。また、幸之助と同時期に実業界で成功した数寄者たちは、多くの美術館を残し、わたしたちにも貴重な美を楽しませてくれている。
しかし、こうした「伝統工芸」や「茶道」を人をてる、いわば「道具」(手段)としてこれほど活用した経営者はいただろうか?
幸之助翁にしか持ち得なかったセンスではないだろうか。

 くだんの専務は今、3児の父となり、優れた経営者となり、十九の時に唱和した論語の一節一節が、生意気ざかりの息子に対して自然と口から出てくるという。

「ほんまにええことを学ばせてもろうたわー。一つ確実に言えるンは、あれがなかったら今の自分はなかったやろね。」と笑う。「最近“書”を習い始めてん、いっしょにどうや?」と勧めてこられた。
 私自身、薬の商売をしていた祖父や、繊維をり扱っていた岳父はしばしば商いについて「幸之助さんはなぁ、、、」と“さん”付けでよく引き合いに出していた。それほどまでに松下幸之助と同時代に生きた人は彼の影響を受けていたのだろう。そして私も電器屋の友人の誘われてまた学び直したいと思っている。

 大阪府門真市にはパナソニックの一大工場群がある。寒風の日、とある用事でその敷地に入ることがあった。休日でひっそりとした工場建屋周りは沢山の緑に囲まれていた。その中には様々な種類の椿が見事に咲き誇っていた。幸之助翁がまさか工場の植樹にまで好みを合わせたとは思えなが、茶道を愛し、人の育成の「道具」にまで用いた幸之助の一端が垣間見えたようだった。